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このブログは、今年(2013年)の春頃から長期のアジア旅行へ出かけるため開設した。

今回はその旅の目的について書こうと思う。

 

 

私は現在いちおう仕事にもついており、年齢的にもとても「若者」とは言えない年令である。

しかし、今年の春~初夏には職を辞して日本を離れる予定だ。

 

その目的は「各国を回りながら写真を撮ること。その写真で個展を催すこと」である。

 

 

私は数年前、ある写真学校を卒業した。

その学校は少し変わっていて、就職をあまり重視せず、個人の表現活動をする写真家を養成する場所という意味合いが強かった。

私も卒業後、一回だけ個展をやった。東京の都市風景のモノクロ写真であった。地の利が最大限に働いたようで(銀座だった)、芳名帖に名前を書いてくれた方だけでも200人近くになり、初めての写真展としてはなかなかの盛況であった。

しかし、その写真展を境に私は「撮れなく」なってしまったのだ。

 

写真展という形にして人の目・評価に触れる中で、また、私自身ある程度客観的に見たことで、自分の主題が嫌になるほど”ありきたり”な物だということにはっきりと気づかされてしまったのだ。

そのときの写真が「いい写真」だったということには自信があった。しかし世の中には「いい写真」を撮るヤツなんて佃煮にするほどいる。

食える食えない以前の問題として、自分は人に見せるに足る表現をしている「写真家」ですと言うためには、最低限「新たな視点」を鑑賞者に提供し、楽しませることができなければならないと思う。

それからいろいろ試行錯誤はしたものの、納得のいく主題を見つけることができず、いつしか写真が撮れなくなっていた。当時の私は、自分の才能の無さを思い知らされたと思ったものだが、何のことは無い、表現者としての動機にも覚悟にも欠けるハンパ者というだけのことだった。

 

 

それから数年経ち、台湾に旅行した後のことだ。

旅行中、コンパクトデジカメで撮った写真を整理していたときその中の、何気なく撮った一枚が妙に気になった。

そのときはただ「気になった」というだけのことだったが、それからしばらくその写真のことが頭から離れず、一つの考えが頭の中に形成されつつあった。

 

 

「もしかしてこれ、イケるんじゃないか」

 

 

その後は、仕事しながらも、電車で移動中も、家にいるときも、写真展の設計図をずっと考えていた。少なくとも、自分はこれに類似した写真展を見たことが無い。知る限り、過去の写真家の仕事としても無いのではないか(あったが写真史に残らなかった、という可能性はもちろんあるが。。)。そしてこれが「新たな視点」であり、鑑賞者を楽しませるに足る物であることには、何故か絶対の自信があった。私の中のある「問題意識」と密接に結びついた主題だということも間違いない(だからこそ、目に止まったのだし)。

 

何よりも、私自身が、この写真展を見たい!と強く思えた。

 

もちろん、日本国内だけで撮影して写真展をやることもできるし、それでもいいものにできると思っている。

しかし、きっかけが台湾で撮った写真ということもあり、いろいろな国で撮影し、それをミックスして見せるという形式が自分の中では自然だった。それに、私にとって切実なある「問題意識」と関連させるためにはどうしてもそれが必要不可欠だった。

それから、長期海外へ行き撮影することを具体的に考え始め、長期旅行のハウトゥ本など買いあさった。具体的に準備しなくてはならないことはまだまだたくさんあるが、おおまかなプランはすでに考えている。

 

範囲はアジア(これは、私の中にある問題意識と関係がある)

期間は1年(予定の国を巡り写真を撮るのに必要な期間、および予算から算出)。

 

立ち寄る予定の国:

中国・タイ・ベトナム・ミャンマー・ラオス・インドネシア・シンガポール・フィリピン・インド・台湾・韓国

 

まだ未定だが、写真展の主題上是非とも立ち寄りたい国:

パキスタン・北朝鮮

 

中国では、チベットや香港、新疆ウイグル自治区にも是非立ち寄りたいと考えている。

上記に述べたようなシリアスな理由抜きにしても、旅好きの血が燃えるプランである。1年の旅行というとかなり長いように感じていたが、実際上記の国を訪れ、写真を撮ると考えると結構タイトなスケジュールなので驚いた。しかし、予算のこともあるし、写真展の準備に2年も3年も時間をかけるのはどうかとも思い涙を呑んだ。 

 

 

そんな浮き草のようなことのために仕事も辞めて、只でさえ不確実な未来を更に暗くするのか、と言う人も周りにいる。しかし、これは私にとって、口ばっかりの半端者だった今までの自分に対するケジメでもあるのだ。今回後に引けば私は、一生何を成すこともできないだろう。そんなことで安楽に長生きして一体何の意味があるのか、と思う。

 

確実に平等に、誰にもいつか死はやってくる。お金持ちでも貧乏でも、友達がたくさんいても孤独でも、ステキな彼氏、彼女がいてもいなくても、人間は最後には必ず敗けるものなのだと思う。

しかしそれでも「一矢報いる」ことぐらいは、誰にでもできるのではないか。

 

私にとって今回の旅とは、そういうものだ。

しかし、私の中には依然として「弱い自分」も居座っていて「もっと楽に生きようぜ~。なんとなく楽しくて気持ちよきゃいいじゃ~ん」と囁きかけてくる。なので周りの人に可能な限り今回の事を話し、後戻りできない状況に自分を追い込むようにしている。このブログは、その一環でもある。ここまで書いて「やっぱり止めました」となったら相当恥ずかしいことだろう。

 

 

今回は、マジメに「語り」入ってしまった。なんだかスミマセン。

 

 

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